忘年会

12月26日にペルバッコで忘年会を開催しました。

干したら、アンコウ、ズワイガニ、牛赤身肉など、大変おいしい料理と赤ワインで楽しい時間を過ごせました。

クリスマスワークショップで作ったペンダントです。

権田料理長ありがとうございました!

今後もよろしくお願いします。

 

 

道経一体社会の実現方法

道徳と経済が一体となった社会の実現方法を鎌倉投信に見出しました。

(1)プロフェッショナル仕事の流儀 新井和宏 信念の金融 2015.5.11放送

(2)鎌倉投信・鎌田恭幸 代表取締役社長【神奈川ビジネスUp To Date】2016.8.29放送

これを読んだ方に、鎌倉投信への投資を勧誘するものでは、ありません。

ちなみに最低1万円からできますが、ご自身の責任で判断してください。

 

孔垂長先生のご紹介

先月来日された孔垂長先生のご紹介で、侯さんと商談しました。台北でホテルを経営しており、奥様は日本語が堪能です。今後日本の水産物を中国本土への輸出を計画しているそうです。ご縁をいただき感謝です!

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)第一章 中津と『中津歴史』 2廣池の生家

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)第一章 中津と『中津歴史』 2廣池の生家

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)

第一章 中津と『中津歴史』

2廣池の生家

父・廣池半六 7ページ

「わしの今日あるは皆両親のお陰である。殊に父の積徳のお陰である。」「この論文は全く神の御守護と父の積徳の賜物である。父の余得がなければ、決してかくの如き著述をなす事は出来ない」(『社教』十一号)

思想形成において、誰しも両親の存在は大きい。廣池の場合、「徳を樹てて家を興すと云ふ如き事は、一代では出来ぬ」(「浄土往生記読者諸君に告ぐ」)と語り、殊更にそれを認めるように、両親さらに祖先の「積徳」ー道徳の積み重ねーに依るところが大きいと考えていた。ここでは父親の存在を重視しているが、口述するように母親からの影響も、非常に大きかったといえる。

徳四郎・半六父子の浄土信仰は、廣池にも色濃く受け継がれているとみられる。

敬虔思想 廣池は、これを記した頃、小川含章のもとで儒学を修めており、その後、国学も学び、やがて日本皇室の尊厳を説く国体学へと進んでいく。しかし「元来」の信仰が浄土真宗にあったことは、注目を要する。 10ページ

他力と自力 半六は「神仏のような精神になれよ。何ものをも育てあげる精神になっていくのが本当の人間じゃ。分かったか」と教え、りゑは「お父さん言うことを守って、そういう人間になることですよ」と語っていた(井出大『随行記録 晩年の廣池千九郎博士』)。 11ページ

神社に仕える家業であったことと、敬虔・忠君・愛国が関連づけられ、それが半六における精神生活の主柱であったとされる。 15ページ

伊勢神宮へ参拝しました

11月9日に伊勢神宮(外宮・内宮)へ参拝しました。

前夜の懇親会での乾杯です。

良いお天気でした。

宇治橋から五十鈴川河畔の日章旗が見えました。

孔垂長先生が築地市場を見学しました

台湾から来日した孔子の79代目子孫である、孔垂長先生が築地市場を見学しました。

奥様と。

台風一過の秋晴れとなりました。

奥様と通訳をしていただいたご友人。

喜んでいただけたようです。

 

 

 

 

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)第一章 中津と『中津歴史』 1生誕地「中津」

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)

第一章 中津と『中津歴史』

1生誕地「中津」

『中津歴史』明治二十四年(1892)刊行 地方史研究の先駆け

著者 中津高等小学校教員の廣池千九郎(当時二十五歳)

当時の学者たちが誰も成しえなかった、あるいは成そうとしなかった「地方史」研究を、なぜ一介の小学校教員だった廣池が成し遂げたのだろうか。(2ページ)

中津藩 蘭学を重んずる進取の気風。

奥平家三代藩主・昌鹿(1744~80) 四代藩主・昌高(1781~1855)

昌鹿 藩医前野良沢前野良沢の修学を支援  『解体新書』の完成

昌高 “蘭癖大名” 江戸にガラス張りの「オランダ屋敷」 自らオランダ語辞書『蘭語訳撰』を出版 オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフと深い親交。「フレデリック・ヘンドリック」の蘭名をもらう。シーボルトと親交するために隠居し、オランダ語で会話・手紙のやりとり。

進修館(儒学)の開校・発展「当時その名四方に高く、長州萩の明倫館と共に天下に併称せらる」

正行寺住職末広雲華を崇拝 → 浄土真宗の興隆

『中津歴史』が雲華のことを六頁にもわたって詳述したのは、このように中津の宗教界における功績の大きさが主であったことに違いないが、廣池自身の思想的ルーツに当たる点も見逃せない。この点は後に述べる。(5ページ)

洋学校「中津市校」(明治四年十一月)慶応義塾の姉妹校。最盛期(明治六、七年から八、九年)生徒数六百人、関西第一の英学校。公立学校の整備に伴い明治十六年に廃校。

中津における洋学の系統は、養蚕業を中心とする実業へ受け継がれた。