廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)第一章 中津と『中津歴史』 2廣池の生家

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)第一章 中津と『中津歴史』 2廣池の生家

廣池千九郎(橋本富太郎著 ミネルヴァ日本評伝選)

第一章 中津と『中津歴史』

2廣池の生家

父・廣池半六 7ページ

「わしの今日あるは皆両親のお陰である。殊に父の積徳のお陰である。」「この論文は全く神の御守護と父の積徳の賜物である。父の余得がなければ、決してかくの如き著述をなす事は出来ない」(『社教』十一号)

思想形成において、誰しも両親の存在は大きい。廣池の場合、「徳を樹てて家を興すと云ふ如き事は、一代では出来ぬ」(「浄土往生記読者諸君に告ぐ」)と語り、殊更にそれを認めるように、両親さらに祖先の「積徳」ー道徳の積み重ねーに依るところが大きいと考えていた。ここでは父親の存在を重視しているが、口述するように母親からの影響も、非常に大きかったといえる。

徳四郎・半六父子の浄土信仰は、廣池にも色濃く受け継がれているとみられる。

敬虔思想 廣池は、これを記した頃、小川含章のもとで儒学を修めており、その後、国学も学び、やがて日本皇室の尊厳を説く国体学へと進んでいく。しかし「元来」の信仰が浄土真宗にあったことは、注目を要する。 10ページ

他力と自力 半六は「神仏のような精神になれよ。何ものをも育てあげる精神になっていくのが本当の人間じゃ。分かったか」と教え、りゑは「お父さん言うことを守って、そういう人間になることですよ」と語っていた(井出大『随行記録 晩年の廣池千九郎博士』)。 11ページ

神社に仕える家業であったことと、敬虔・忠君・愛国が関連づけられ、それが半六における精神生活の主柱であったとされる。 15ページ

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