第一章 中津と『中津歴史』
1生誕地「中津」
『中津歴史』明治二十四年(1892)刊行 地方史研究の先駆け
著者 中津高等小学校教員の廣池千九郎(当時二十五歳)
当時の学者たちが誰も成しえなかった、あるいは成そうとしなかった「地方史」研究を、なぜ一介の小学校教員だった廣池が成し遂げたのだろうか。(2ページ)
中津藩 蘭学を重んずる進取の気風。
奥平家三代藩主・昌鹿(1744~80) 四代藩主・昌高(1781~1855)
昌高 “蘭癖大名” 江戸にガラス張りの「オランダ屋敷」 自らオランダ語辞書『蘭語訳撰』を出版 オランダ商館長ヘンドリック・ドゥーフと深い親交。「フレデリック・ヘンドリック」の蘭名をもらう。シーボルトと親交するために隠居し、オランダ語で会話・手紙のやりとり。
進修館(儒学)の開校・発展「当時その名四方に高く、長州萩の明倫館と共に天下に併称せらる」
正行寺住職末広雲華を崇拝 → 浄土真宗の興隆
『中津歴史』が雲華のことを六頁にもわたって詳述したのは、このように中津の宗教界における功績の大きさが主であったことに違いないが、廣池自身の思想的ルーツに当たる点も見逃せない。この点は後に述べる。(5ページ)
洋学校「中津市校」(明治四年十一月)慶応義塾の姉妹校。最盛期(明治六、七年から八、九年)生徒数六百人、関西第一の英学校。公立学校の整備に伴い明治十六年に廃校。
中津における洋学の系統は、養蚕業を中心とする実業へ受け継がれた。